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最高裁判所大法廷 昭和38年(オ)694号 判決

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について。

論旨は、要するに、上告人は昭和一九年七月二八日グアム島において戦死した故陸軍軍医大尉善積貞宗の父として、昭和二八年法律第一五五号附則一〇条一項二号ロに基づき扶助料を請求したところ、恩給局長より棄却の裁定およびこれを不服とする具申の棄却の裁決を受け、被上告人に対する訴願の結果も棄却の裁決となり、その取消しを求める本訴においても、一、二審とも被上告人の裁決を正当として、上告人の取消請求を棄却すべきものとする判決となつたが、右は、前記附則一〇条一項二号ロにいう旧軍人の「遺族」の範囲を昭和二三年法律第一八五号による改正前の恩給法七二条一項の規定により決すべきものとした解釈によるもので、かかる解釈は、「家」の制度を廃止すべきものとした日本国憲法の要請に反し、原判決は、憲法一一条、一三条、一四条、二四条、九七条、一〇〇条に違反する、というのである。

よつて按ずるに、上告人が昭和一九年七月二八日戦死した故陸軍軍医大尉善積貞宗の父であることは、原判決の確定するところであり、本訴の争点が、昭和二八年法律第一五五号附則一〇条一項二号ロにいう「遺族」が、昭和二三年法律第一八五号による改正前の恩給法(以下これを旧恩給法という。)七二条一項にいう「遺族」を指すのか、あるいは右改正後の恩給法(以下これを新恩給法という。)七二条一項にいう「遺族」を指すのか、という法律上の問題点に帰着することは、原判決説示のとおりであるところ、原審は、これを旧恩給法の規定によるべきものと解し、かかる解釈も憲法に反するものでないとしたものであることが明らかである。

そこで、まず、恩給法に関する戦後の主要な改正の経過を見ると、おおむね次のとおりである。昭和二〇年一一月二四日付けで、当時の連合国最高司令官より「恩給年金及利益ニ関スル覚書」が発せられ、これに基づく昭和二一年勅令第六八号「恩給法ノ特例ニ関スル件」により、いわゆる軍人恩給の支給が傷病恩給を除いて停止され、昭和二一年法律第三一号により、軍人、準軍人およびこれらの者の遺族は、恩給法の対象から除かれることとなつた。他方、日本国憲法の施行に伴い、民法について応急的措置を講ずることを目的とする昭和二二年法律第七四号が施行され、その三条は、「戸主、家族その他家に関する規定は、これを適用しない」ものとし、昭和二三年一月一日、民法親族編および相続編に関する新法(昭和二二年法律第二二二号)ならびに新戸籍法(同年法律第二二四号)が施行され(なお同時施行の昭和二二年法律第七七号附則一一条参照)、これを受けて、恩給法についても、その一部を改正する昭和二三年法律第一八五号が施行され、その七二条、八〇条その他の改正規定は、昭和二三年一月一日に遡及して適用されることとなつた(同法律附則一条)。その後、いわゆる軍人恩給の部分的復活を目的として、前記昭和二一年勅令第六八号が昭和二八年法律第一五五号附則二条により廃止され、いわゆる軍人恩給の受給の要件および手続等が同附則一〇条以下に規定された。

以上が、主要な改正の経過であつて、上告人は、昭和二八年法律第一五五号附則一〇条一項二号ロにいう旧軍人の「遺族」とは、新恩給法七二条一項にいう「遺族」を指すものと解すべきである、というのである。

右改正の経過に徴して明らかなように、いわゆる軍人恩給の復活は、恩給法それ自体の改正によつてではなく、昭和二八年法律第一五五号の附則の規定の制定施行によつてなされているのであるが、附則自体には、「遺族」の定義を明らかにした規定がなく、同附則二八条は、旧軍人等の「遺族に対する恩給については、この法律の附則に定める場合を除く外、恩給法の規定を適用する」とするので、「遺族」の定義は、恩給法の規定によるほかないのである。そして、恩給法においてこれを定義するのは、その七二条一項である。

前述のように、恩給法七二条については、昭和二三年法律第一八五号による改正があるのであるが、同条は、扶助料を受けるべき公務員またはこれに準ずべき者の遺族の範囲を、当該公務員等の死亡当時これと一定の身分関係にあつたか否かによつて決しようとするもので、この態度は、右改正の前後を通じて異なるところはなく、このことは、また、扶助料を給する趣旨・目的に照らしても当然というべきであつて、昭和二三年法律第一八五号附則七条は、前記七二条その他の改正規定の遡及適用の前日である「昭和二二年一二月三一日までに給与事由の生じた扶助料及び一時扶助料については、なお従前の例による」べきことを明らかにしている(これに対し、昭和二三年一月一日以後あらたに受給権または受給資格の喪失事由を生じた場合については、民法および戸籍法の新法と符節を合わせた新恩給法の改正規定によるのが当然で、同附則七条但書は、その旨を注意的に明記したものというべきである。)。

もとより、昭和二三年法律第一八五号による改正当時、軍人、準軍人およびこれらの者の遺族が恩給法の対象外とされていたことは、前述のとおりであるが、昭和二八年法律第一五五号附則一〇条以下の規定により、扶助料を受給すべきものとなつた旧軍人等の「遺族」の範囲を決するについて、特段の規定がない以上、前記改正による文官等の場合とその取扱いを別異にすべき理由はなく、また、かく解するのでなければ、昭和二三年法律第一八五号附則七条に明記された文官等の遺族に関する場合と、その均衡を失することになる。

したがつて、昭和二八年法律第一五五号附則一〇条以下の規定においていう旧軍人等の「遺族」の定義も、昭和二三年法法律第一八五号附則七条と日本国憲法およびいわゆる民法応急措置法三条とをあわせ考えれば、日本国憲法施行の日の前日である昭和二二年五月二日までに給与事由の生じた場合については、改正前の旧恩給法七二条一項によるべきこととなる。

上告人は、かかる解釈は憲法一三条、一四条、二四条その他の条項に違反すると主張する。憲法は、個人の尊厳と両性の本質的平等とをその基本原則とし、また、社会的身分等による差別は許されないものとして、戸主を中心とする旧民法時代の「家」の制度を認めない立場に立つものであるから、その憲法のもとに成立した昭和二三年法律第一八五号附則七条、同二八年法律第一五五号附則一〇条の定める扶助料を受けるべき遺族の範囲を決するにつき、「家」の制度を前提とした旧恩給法七二条一項の規定によるべきものとした点に、所論違憲の問題を生ずる余地がないではない。しかし、前述のように、公務員(もしくはこれに準ずべき者)または旧軍人(もしくは旧準軍人)の遺族として扶助料を受給すべき者の範囲を決するにつき、公務員または旧軍人等の死亡当時これと一定の身分関係にあつた者であるか否かを基準とすることは、扶助料の性質ないしこれを給する目的からしても当然であつて、その身分関係の存否の判定は、これらの者の死亡当時に施行されていた法令によるほかはない。かくして、当該公務員または旧軍人等の死亡の際、当時施行の恩給法により「遺族」とされる者は、扶助料の受給資格を取得し、また恩給局長の裁定によりその受給権を取得するのであるが、前記の「家」の制度を否定する憲法の法条も、かかる既得権ないし期待権を形成する根拠となつた過去の法律関係まで遡及的に否定する趣旨であるとは、とうてい解しえないところである。

いわゆる軍人恩給の復活を図つた昭和二八年法律第一五五号附則の規定は、さきに連合国最高司令官の覚書により凍結された右の既得権ないし期待権を復活させたもので、同附則一〇条一項二号イは恩給局長の裁定ずみの場合(既得権)、同ロ、ハは裁定前の場合(期待権)に関するが、これが憲法に適合するや否やについて、恩給局長の裁定の有無により結論を異にすべきいわれはなく、いずれも憲法一三条、一四条、二四条に反するところはないと解される。

上告人は、なお、憲法一一七条、九七条の違反をいうが、右の解釈が憲法の保障する基本的人権の侵害であるとするのは、上告人独自の見解であつて採用できず、以上により、憲法九八条違反をいう所論も理由がなく、また、所論一〇〇条違反の問題を生ずる余地はない。

以上説示のとおり本件において、上告人が昭和二八年法律第一五五号附則一〇条一項二号ロにいう「遺族」に該当しないとした原判決の判断は正当で、原判決に同条項の解釈適用に関する誤りはなく、所論憲法の法条に対する違反も認められない。論旨は、すべて採用できない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(石田和外 入江俊郎 草鹿浅之介 長部謹吾 城戸芳彦 田中二郎 松田二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 飯村義美 村上朝一 関根小郷)

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